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ノスタル爺の独り言


1..おももちゃとの再会

一目ぼれだった。ガラスのショーウインドの中の、古くて高そうなおもちゃたちの中で、私の目は一つのおもちゃに釘付けになっていた。袋入り、ソフビの海のトリトン。オリハルコンの剣を片手に立つその勇姿は私の様々な思い出を喚起し、想い忘れかけていたおもちゃ集めの旅へ私を導く羅針盤のような存在であった。

子供のころ兄の怪獣ソフビ集めに影響を受け、私は色々なおもちゃを買ってもらっていた。ドラえもん、海のトリトン、ウルトラマン・シリーズが私の大好きなキャラクターで、ソフビ、超合金、プラモデル、怪獣消しゴム、レコード、色々なものを持っていた。漫画も同じく買い集め、藤子不二雄作品は私の大のお気に入りだった(たくさんの単行本とコロコロコミックをよく読んでいたものだ)。


昔から物を捨てられない性分で色々なおもちゃを保管していたが、たくさんの人々と同じで親に捨てられたりして少ししかその頃のコレクションは残らず、また、高校、大学では、勉強や部活に忙しくて、おもちゃに関心を寄せている時間がなかった。こうして、おもちゃ集め再開には、長い間のブランクがあった。

しかし、その頃のお宝ブームの中、様々な機会に(なんでも鑑定団、まんだらけなどのお店、様々なコレクター雑誌etc.)こういったおもちゃたちに再び出会うことも増え、あの頃の、駄菓子屋に毎日のように通い、また、おもちゃを買ってもらってワクワク楽しんでいた頃の気持ちが再び甦ってきた。何よりも、昔の友達に再び会ったようなあたたかな感覚がたまらなく好きだった。

そんな時、高松のある古いおもちゃを扱っているお店を偶然見つけ、そこへ訪れたところ、そこには夢のような空間が・・・。ソフビ、ブリキ、超合金、漫画、レコード・・・ まさしく私が毎日通っていた駄菓子屋のようなその空間で、しばし私はボーッとしていた。
すると、高そうなブリキのアトムらと同じように、ショーケースに飾られたおもちゃたちのなかで、私がハッと目をとめたものがあった。それが、袋に入った海のトリトンのソフビ人形だった。私はこのソフビを持ってはいなかったが、それは、私の小さい頃の様々な思い出を呼び起こしてくれた。初めて見たテレビアニメ(私が覚えている限りでは)がこの海のトリトンであったからだろうか、その頃から始まる、おもちゃたちに囲まれて過ごした子供のころの日々がいっぺんで甦ってきたのである。外では、友達と夜遅くまで怪獣ごっこに励み、家では、リモコンなどまだない、チャンネルをガチャガチャまわすあの変にでっかいテレビの前でよく遊んでいたものだ。そんなセピア色の風景と懐かしいにおいが・・・。私はその魅力にいっぺんで虜になって、おそらく高かろうそのソフビについて、すぐにお店の人に値段をきいていたのである。2日後にそれを手に入れるまで、誰かが私のかわりに買いはしないかと、夜はよく眠れなかったことを覚えている。

こうして、私のおもちゃ集めは再開されたのだ。したがって、本格的なコレクション歴は10年程度ということになるのだが、おもちゃや漫画への関心は子どもの頃に負けず劣らず、日に日に高まっていく一方なのである。

2..おもちゃへの気持ちって

古いおもちゃ集めを再開して気になるのはやはりお金である。一般的に高い。興味のない人からすれば、なぜそんなものにそんなお金を払うのか理解できないと思う。古くて、数が少なく、需要が大きい物の値段が高いのは当たり前である。したがって、数十年前にもっと大切に遊んでいたらとか、昔なら安い値段で色々なものを手に入れることができていたのになあとよく思う。でもはたしてそうだろうか?今のおもちゃへの気持ちと昔のおもちゃへの気持ちはやはり違っていると思う。

遊びに理屈などないと思う。したがって子供の頃は理屈なく、あえて言うなら、好きだからおもちゃたちと(で)遊んでいたのだろう。それほど”集める”ということを意識はしないだろう。しかし、今は少し違っていると思う。

なぜそんな物を集めるの?ときかれれば、確かに好きだからと答えるだろう。また、もう少しカッコよく?言えば、様々な思い出と再会したいからだとか、新たに楽しい思い出を作りたいからだとも。また一方では、値段が高くて価値があるからというように、お金や社会的認知度といった、相対的な物の見方でおもちゃに接している自分もいる。あんなものをコレクションするなんて変わり者のすることで、全然価値がないなんて後ろ指さされていれば、はたして今のようにコレクションを集めているだろうか?偉大(?)なコレクターという人々は、そういう社会的な目を気にせずにコツコツ物を集めてきた人々が多い。そうすると、そんな周りのトレンドとかに流されているかもしれない自分もいるようで、すこし心苦しくも感じる。値段が高くて、手に入れにくく、多少無理をすることがあるからこそ、なぜ自分はこのおもちゃを手に入れようとしているのかを考えてしまう。

でも、その色々な気持ち全てが、どれが正しいとかいうレベルでなく、今の私のおもちゃへの素直な気持ちだと思う。理屈なく本能で集めているか、何かを求めて集めているのか、その全てが彼ら−おもちゃへの私の気持ちなのだろう。某雑誌で、特に男は子供を産めないから、つまり自ら生命という小宇宙を作り出すことができないから、その欲求を満たすために物を集め、自らのまわりにコレクションという一種の小宇宙を作り出そうとするというようなことが書いてあった。それもそうかもしれない・・・

でもはっきりしているのは、そういったおもちゃたちに出会い、喜び、魅了され、幸せを感じている今の自分がいること、そして、それらおもちゃ1つ1つとなにかしらのストーリー持ち、新たなる思い出を作り出している自分がいるということである。子供の頃に比べて、おもちゃ1つにこういった様々な気持ちを持てるのは、やはりコレクションの醍醐味だと思う。

3..僕も感動屋

前に、世界的おもちゃコレクターの北原照久氏の本を読んだことがある。そこで彼が言っていたことが、自分は感動屋、つまりいろんなことに感動しやすいタイプだというようなことであった。自分もまさしくその一人に違いない。

私は感動というか、いわゆる何にでも影響を受けやすいタイプである。小さい頃にはオモチャ集めをはじめいろんなことに兄の影響を受けてきたし、けっこうあの頃の人はみんなかもしれないが、ブルース・リーにあこがれて、空手を習い、鏡の前で必死に黒のヌンチャクを振り回していた(笑)。その次はジャッキー・チェンに夢中になり、”酔拳”を見た後など、クルミを買ってきてはそれを親指と人差し指で砕こうと必死になっていた(特訓としてそういうシーンがあったんである)。少し成長してもそれは変わらず、いい年をして、シルベスター・スタローンの”コブラ”という映画を見たあと、そのかっこいい刑事のまねをして、たばこも吸わないのに、マッチ棒を口にくわえて家の中(外ではない)でポーズを決めていた。小さい頃は、こういった視覚的に強くてかっこいいものにあこがれ、単純にそのまねをして感動を表していた。

それがだんだん大人に近づいてくると、それプラス、新たな感動の仕方をおぼえるようになった。それは、表面的には見えない、物事の背景や純風景から感じるドラマに共感したり、感じ取った何かを、今や未来の自分にプラスに活かそうとする、前向きな感覚とでも言おうか。

好きなものの中でプロレスというジャンルがある。八百長とばかにする人もたくさんいるが、私にとっては勝ち負けがどうこうというより、その中に現れる数々の人間ドラマと、それらを自分の内面で考え、感じ、遊ぶ、そういったことに満足するのである。週刊プロレスという雑誌をよく読んでいて、そこで”考えるプロレス”という言葉がよく出ていたが、まさしくそれで、プロレス的行為の中から、考えたり、想像したりするのが楽しみであり、感動の仕方なのであった。

プレゼントなどもそうである。値段の高いものよりは、その中に何らかのメッセージや想いが込められているものが断然いい。気持ちのこもっていないブランドもののセーター(全然持っていないが)よりは、下手でも想いのこもった手編みのセーターのほうが、やはりもらって感動するものである。こちらがあげる場合も、金額より、いかにそのプレゼントにその時の想いが伝えられるかが勝負と思っている。

このような内に隠されたドラマを感じ、それを自分の中に刻み、さらに新たなイメージを膨らますことができたとき、物事は私の心の中に深い感動として残る。おもちゃは特にそういった感動となる傾向がある。実際の精巧な”もの”としてのおもちゃも好きであるが、自らの思い出や、持ち主・作り手の想いや歴史を感じ、自分の中に共感ともいえる活きた感情を持てることがより楽しみなのである。

私は大人になるにつれて感動をじかに表すのは下手になっていったと思う。口下手であるし、大人は、そして男はこうあらねばならないみたいな考えもあって、自分の気持ちを外に表現しにくい。しかし、感動をする性質は年々敏感になっていると思う。なぜならそれはより広い視野で物事を感じられるようになっているからだろう。感動というのはやはり人生の潤滑油である。人がもし辛いことや悲しいことしか感じることができなければ、とうの昔に自殺でもして絶滅していると思う。でも人は感動することができる。感動を自分の生きる糧として活かすことができる。だから感動をいつも感じていたいし、自分がその感動の発信地になれればなおいいと思う。おもちゃを通じてより多くの感動が抱ける自分をやはり幸せな存在だと思うし、それを人と共有、共感したい。それがこのホームページの作成の理由であるし、将来の駄菓子屋やおもちゃ屋という夢になっているのである

4..感動の1ページ

私は藤子不二雄氏の作品が大好きである。昭和62年に藤本氏と安孫子氏の二人はコンビを解消し、それぞれ別のペンネームで再出発することになり、また、もうすでに藤本氏はお亡くなりになっているが、幼児期における私のパーソナリティ形成に多大な影響を与えたのは間違いあるまい。

3度の飯より大好きなコロコロコミックを読んで育った私には、もちろんゲームセンターあらしや、とどろけ!一番といった印象深いマンガはあるが(釣りバカ大将やゴリポン君、プラコン大作なんかもいいですねえ)、ドラえもんやオバケのQ太郎などのマンガがかもし出す、安心感とでもいうのだろうか、あったかい雰囲気が大好きだった。こういった藤子不二雄作品が心にある種のゆとりを与えてくれていたと思う。

やはり夢中になったのはドラえもんだった。おもちゃもたくさん買ってもらったし、テレビもよく見ていた。昔、本物かどうかは知らなかったが、ドラえもんのセル画をやっとのことで手に入れて大事にしていた記憶もある(今は持っていないが・・・)。映画、のび太の恐竜を3〜4回は映画館に見に行き、列に何時間も並んで待ったことや、映画館の中で売られていたドラえもんパン(知ってる?)をいくつも食べたことなどはいい思い出である。

そのドラえもんの中で、いや数あるマンガの中で、私が今でも涙してしまう、私にとって、いや数多くの人にとっても永遠の名シーンといえる場面がある。それはてんとう虫コミックス第6巻の、そう”さようならドラえもん”の1シーンである(ちなみにドラえもんの最終回はこれを含めて3パターンある)。

ドラえもんに心配をかけるまいと、ジャイアンにやられてもやられても立ち上がるのび太。そして傷だらけの顔でドラえもんに”勝った よ ぼく ”と言った時ののび太の誇らしげな顔。そして、ただ何も言わず涙し、同志のような、それ以上に我が子を見つめる父親や母親のような穏やかな表情でのび太を見守り、そして未来へすっとドラえもんが消えてくあのシーン。恥ずかしながら今でも涙が出てしまう。会話はあまりない。コマはたった6コマ。しかしこの短い会話や絵の中に、このたった1ページの中に、勇気、友情、子供から大人への成長、愛、愛する者との別れ、そして希望といろいろなことを感じることができる。いや正確に言うと既成の言葉では言い表せない。ただ、ただ、気持ちがじ〜んと熱くなる。

宮崎駿氏の作品もそうだが、マンガやアニメは、単純明解にも複雑にも、物事を表現し、読み手の感情を揺さぶることのできる一種の芸術だと思う。あの2次元の世界であれだけの人間ドラマを感じさせるというのはやはりすごいことだろう。もちろん藤子氏だからということもあるのだが・・・

雑誌による最初の掲載(小学三年生3月号)では、このコマはもう少しあっさりとしていて、ドラえもんがのび太に駆け寄り、のび太が「勝った よ ぼく」というシーンや、見つめるドラえもんのシーンはなく(右下の画像を参考にしてください)、このコマは単行本の第6巻用に書き加えられたものである。これらの書き加えられたシーンは、一つ一つが、重い。藤子氏はどういう気持ちでこのシーンを加えたのであろうか?とにかく私にとっては元気を与えてくれる、心に残るシーンである


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